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中間市は、福岡県の北部にある市であります。1958年(昭和33年)11月に福岡県で20番目の市として生まれました。明治末期から昭和初期には、この地で発見された「石炭」が国の重要なエネルギー源となりました。。石炭輸送には当初「川ひらた」と呼ばれた舟が、「遠賀川」と「堀川」を下っていました。その後、1891年(明治24年)に筑豊本線が開通し、1912年(明治45年)には香月線が開通すると、鉄道の大量輸送に押され「川ひらた」は徐々に姿を消し、炭鉱の閉山等で一時的に人口が減少したが、その後は北九州都市圏のベッドタウンへと発展を遂げた。

遠賀平野に位置している事から、古代から稲作が盛んに行われ、弥生時代の農耕文化の伝わりの指標となった「遠賀川式土器」など農耕文化を伝える遺物が多数出土されています。古墳時代後期(5世紀末~6世紀後中)では、現在の「垣生公園」にある垣生丘陵周辺に「横穴式の群集墓」が多く作られました。これは「垣生羅漢百穴」と呼ばれおり、県指定の文化財になっています。室町時代には、麻生氏と宗像氏の両軍が睨み合い、幾度の合戦をしたが決着がつかず、川西を宗像領、川東を麻生領に分割した事が「古文書」に記載されている。江戸時代には、福岡藩の所領となり、遠賀川の度重なる氾濫を防ぐ為に、遠賀川堤防の改修と堀川の掘削が始められました。

市の木は「楠」・「クロガネモチ」、市の花は「パンジー」・「秋桜」、市のキャラクターは「なかっぱ」です。このキャラクターは、身長きゅうり3本分?、体重きゅうり3本分?、好きな食べ物はきゅうり・・・との事であります。

1985年(昭和60年)に廃線となった旧国鉄香月線の跡地に建設された「屋根のない博物館」は、「ふるさとの道」・「やすらぎの道」・「古代の道」・「もやいの道」からなる4つのゾーンでは、世界各地の石像のレプリカ(約30体余り)があり、イースター島のモアイ像・スフィンクス・凱旋門が立ち並んでいます。

「堀川の中間唐戸」は、1621年(元和7年)、福岡藩初代藩主「黒田 長政」の命によって、治水と水上輸送、かんがい用水の確保等の目的に運河「堀川」の掘削が始められました。しかしその2年後、長政がこの世を去り工事は中断してしまい、工事の再開はそれから130年後の事でした。1762年(宝歴12年)6代藩主「継高」の時代に、遠賀川からの取水門「堀川の中間唐戸」が完成し、開通しました。「唐戸」には「水門」という意があり、細長い板を水門の溝に入れて、その入れた枚数によって水量を調節していました。因みに県の指定史跡にも指定されています。

中間唐戸(水門)から下流へ3分程歩いた「唐戸公民館」の周辺にある2本の楠の木「唐戸の大クス」は市の文化財(天然記念物)の指定を受けています。
2本はほぼ同じ高さ22m、胴回りは3,3mと4.8m、樹齢約250年~300年と云われています。

特産品及び名産品は、「菊屋の中間饅頭」・「やっちゃれ漬」・「ほのぼの味噌」・「さくらの里大福」・「さくらの里わらびもち」・「苺」・「蕗」・「大豆」・「いちじく」となっています。

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