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宮津市は、京都府北部に位置にある市です。 江戸時代初期、儒学者の「林春斎」が日本全国を行脚して日本三景の1つに定めた「天橋立」のある、日本海の「若狭湾」に面しています。「遺跡」や「古墳」の発掘調査等から、「縄文」・「弥生」・「古墳」時代と続く歴史が明らかにされており、地名として平城宮出土木簡に「宮津郷烏賊二斤」とあるのが見られ、ついで「和名抄」には「宮津郷」とあります。奈良時代、713年(和銅6年)丹波国から別れて「丹後国」が置かれたが、その頃には国ごとに建てられた「国分寺」は府中に存在し、国府もこの地にあったとされ「政治」・「文化」の中心であった。 中世には、宮津は国衙の地として「政治」・「宗教」・「文化」の中心地となっており、室町時代~戦国時代には守護所の所在地でもあったようです。

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの功により、京極高知に「徳川家康」より「丹後一国」が与えられ「丹後藩」が成立しました。後に、京極高知の三子によって「丹後藩」は三分割し、「宮津藩」・「舞鶴藩」・「峰山藩」の丹後三藩が成立しました。宮津藩「京極家」は改易され、替わって「本庄家」が藩主になりました。1954年(昭和29年)6月1日に、「与謝郡宮津町」・「栗田村」・「吉津村」・「府中村」・「日置村」・「世屋村」・「養老村」・「日ヶ谷村」1町7村が合併し市制が施行した。1956年(昭和31年)9月20日には「加佐郡由良村」を編入しました。

14世紀末から「一色氏」が守護などとして勢力を持っていたが、16世紀末「細川幽斎(藤孝)」及び「細川忠興」父子が「織田信長」の命を受け、「明智光秀」と共に丹後を平定、1580年(天正8年)8月には丹後を与えられ、入国し「宮津八幡山城」に入り、まもなく平地に城を築いて城下町を開いたとされている。江戸時代に入ると、「細川氏」に代わり京極高知が12万3千石で丹後入リし、1622年(元和8年)、その子「高広」が7万8千石で宮津に封じられ、町の本格的な建設を始めた。「京極氏」のあと、「永井氏」・「阿部氏」・「奥平氏」・「青山氏」と藩主が代わって、最後は1759年(宝暦9年)から「本庄氏」が幕末まで続いた。
この間、近世における丹後地方の「政治」・「経済」・「文化」の中心的な都市として発展し続けてきた。

宮津は天然の良港となっており、北には「酒田」・「松前」・西南には「九州」・「四国」・「大阪」に至る船が入港し港町として繁栄した。明治維新廃藩後は、「宮津県」や「豊岡県」の管下に属し、1876年(明治9年)に「京都府」に編入され「宮津支所」が置かれた。1889年(明治22年)町村制の施行と共に、「宮津町」の他10村が生まれ、1924年(大正13年)に鉄道が開通し、「宮津港」も沿岸を主とした航路の要としての役割を果たしてきた。1951年(昭和26年)4月「上宮津村」、1954年(昭和29年)6月には「栗田」・「吉津」・「府中」・「日置」・「世屋」・「養老」・「日ヶ谷」の各村と合併し「宮津市」が生まれ、更には、1956年(昭和31年)9月に「加佐郡由良村」と合併し今日に至っている。

市の木は「黒松」(昭和49年6月1日制定)、市の花は「みつばつつじ」。市章は、宮津(ミヤヅ)の頭文字「ミ」の「M」を中心に、円の先端は「ヤ」、全体を通じて「ツ」を表しており、Mを「天橋立」に見たて波状で観光と海港をイメージしていりものとの事です。(昭和29年8月10日制定)宮津市役所の所在地は、京都府宮津市字柳縄手345-1/電話0772-22-2121(代表)です。

宮津市のシンボル「天橋立」(※長さ約3.6km、幅20~140m)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる「砂州」で、日本三景の1つとして数えられています。天橋立の眺めは一般に下記のものが有名です。特に「斜め一文字」と「飛龍観」は著名との事です。「斜め一文字」は、北側の「傘松公園」からの「天橋立」の眺め。名前のとおり、斜め一文字に見える景観からその名がつきました。「飛龍観」は、文珠山の山頂にある「天橋立ビューランド」から見る南側からの眺め。龍が天に登る姿に見えた事からその名前がついたそうです。「一字観」は、西側の「大内峠一字観公園」からの「天橋立」の眺め。「天橋立」が横一文字に見える景観からその様に呼ばれています。「雪舟観」は、東側からの「天橋立」の眺め。左に掲げた雪舟筆「天橋立図」が描かれた事が由来でとの事である。
(※日本三景)
江戸時代の儒学者「林春斎」が、全国を旅行して書き綴った「日本国事跡考」の中でたぐいまれな景勝地として、広島県宮島町にある「安芸の宮島」、宮城県松島町にある「陸前の松島」と並び賞賛し、その名を記したのが「日本三景」の呼び名の始まりと言われています。

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