多気郡明和町の探偵事務所への相談なら、社団法人探偵協会が優良な会社をご紹介致します。

社団法人

電話問い合わせ

メール問い合わせ

多気郡明和町で探偵、興信所をお探しの方、お困りの方、社団法人探偵協会にお任せください。

明和町は、三重県南勢部に位置している町で、「多気郡」に属し基本的に「松阪市」との結びつきが非常に強い。町の読み方は「しょうわまち」ではなく「めいわちょう」と読む。「松阪市」と「伊勢市」の丁度真ん中に位置しており「伊勢湾」に面しています。「ゴミ処理場」や「火葬場」等は「伊勢市」・「度会郡」と一部事務組合を形成しています。「町域」はおおむね平坦となっており「土地」は肥沃となっており、約2200haの「農地」のうち、約550haが「国営宮川用水」から受水しています。

町の木は「槇」、町の花は「のはなしょうぶ(※どんど花)」です。明和町役場の所在地は、三重県多気郡明和町大字馬之上945 電話0596-52-7112 FAX0596-52-7133です。

649年(大化5年)までは「伊勢神宮」を管理する神だちが、以降1,330年頃まで「斎宮」が設置され、周辺の大半は「神宮領」となった。江戸時代は「藤堂藩」・「鳥羽藩」・「紀州徳川藩」・「神宮領」が混在した。1889年(明治22年)に「度会郡大淀村」・「下御糸村」・「上御糸村」「斎宮村」・「明星村」が設置された。1955年(昭和30年)には「大淀町」・「下御糸村」・「上御糸村」が合併し「三和町」に、「斎宮村」・「明星村」が合併して「斎明村」になりました。1958年(昭和33年)9月に「三和町」と「斎明村」が合併し「神郷町」となったが同日改称し「明和町」となった。1979年(昭和54年)3月に「斎宮跡」が国の史跡に指定された。2004年(平成16年)には「多気郡多気町」・「旧勢和村」・「度会郡度会町」・「玉城町」との合併協議会解散する。

町内の様々な場所から数多くの「遺跡」や「古墳」が発見されており、この地の歴史が大変古いものである事が考えられます。
7世紀末「天武王朝」の頃には「伊勢神宮」に仕える「斎王」の住まう「斎宮」が建てられ、その規模や出土品から中世に至るまでの間、三重県南部の「産業」や「文化」の中心地であった事を想像させます。奈良時代以来、「明和町域」は「神宮領」に属し、多くの御園が置かれました。又、江戸時代には「藤堂藩」・「鳥羽藩」・「紀州藩」・「神宮領」と多くの藩に分割して統治されていた。現在の町南部を通っている「伊勢街道」は、お伊勢参りの人々で賑わい、当時は「宿場町」、また「伊勢平野」の「中心穀倉地帯」として繁栄しました。

町は古い時代からから「農業」・「水産業」を基幹産業として発展してきた。現在においても「優良農地」を基礎的資源に、「水稲」を主とした「土地利用型農業」・「施設野菜」・「畜産」などといった多様な農業が営まれており、「施設野菜」は専業的経営のもと「特産化」が進められている。(※米・大根・苺・トマト・メロン・スイカ・キュウリ・アスパラ菜など)。漁業では、「伊勢湾沿岸」の遠浅で砂質の地盤を生かし「海苔養殖業(※黒海苔)」・「ヒジキ」・「小女子」・「アサリ」・「バカ貝(※アオヤギ)」などの「採貝漁業」が盛んに行われている。又、「船舶用機関製造業」の民間企業が「船舶推進機」で日本初の「特許」を取るなど工業に関し豊かな発想と高い技術力を誇っている。「天然藍染」の「御糸織」は、地場産業として現在でも町を代表する土産物であります。

携帯サイトのQRコード

ページトップへ

Copyright(c) 2010- 社団法人探偵協会 All Rights Reserved.