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川崎町役場の所在地は、宮城県柴田郡川崎町大字前川字裏丁175-1/電話0224-84-2111(代表)

町章(昭和39年7月1日制定)
この町章は、川崎の川を三重丸で表し、円は町民円満と団結の強さを示し、町の中心部を流れる北川、前川、太郎川の三大河川を表徴したものである。

町の獣-カモシカ(昭和55年10月1日制定)
町の鳥-キジ(昭和55年10月1日制定)
町の木-ドウダン(昭和55年10月1日制定)
町の花-シャクナゲ(昭和55年10月1日制定)

柴田郡川崎町は、宮城県南部の柴田郡に属している町です。蔵王山麓に位置しており「丘陵」と「盆地」からなる一方、政令指定都市の仙台市、山形県県庁所在地の山形市に挟まれているという特徴を持つ。県による地域圏では仙南圏に含まれるが、都市圏でみると、柴田郡の構成町は仙台都市圏に含まれる。

川崎小学校校舎の建っている館山には、前川村の中内城(本城:もとじょう)城主砂金右兵衛実常が慶長13年(1608年)から15年(1610年)にかけて築城した川崎城(臥牛城ともいった)があった。 砂金氏はここに90年間居住したが元禄15年(1702年)に砂金家が断絶したあとに、同年(1702年)伊達肥前村興が五千石を領して川崎城主となり20年間居住したのである。 川崎伊達家の初代にあたる方は、伊達村和(むらより)といい、父は三代藩主綱宗、母は三沢初子で、四代藩主綱村の弟にあたり美作守(みまさかのかみ)を名乗り三万石を領したこともあった。

しかし、村和自身川崎には居住せず、当家が初めて川崎城(後に川崎要害と公称する)の館主となったのは享保7年(1772年)村和の嫡男二代村詮(むらあき)が二千石を賜って、仙台藩の御一門に列せられてからである。 以来、明治維新を迎えるまで、村敏、村熈(むらひろ)、宗和(むねより)、邦和(くにより)、邦賢(くにかた)と七代にわたり146年間この地方に君臨したのである。 明治22年の町村制公布により、前川村、今宿村、小野村、川内村、本砂金村の五ヵ村が合併して川崎村となり、更に昭和23年5月に町制を施行して川崎町となった。 また、昭和30年4月20日に富岡村の大字支倉区域と合併し川崎町としてスタートしたが、昭和35年3月14日に櫛挽、道海地区が村田町へ編入した。 約400ヘクタールに及ぶ水没面積を要した釜房ダムは昭和41年着手、45年3月完成。

また、仙台・川崎・山形線の県道は昭和45年4月に昇格し国道286号となった。 その後、笹谷トンネル開通(昭和56年4月)と東北横断自動車(山形自動車道)村田J.C.T~山形県寒河江IC間が、平成3年度に開通。平成元年8月には国営みちのく杜の湖畔公園、平成2年12月にはみやぎ蔵王セントメリースキー場オープンと、今後の発展が期待されている。

名産・名物
川崎そば
洋帰行(そばカステラ)
そば大福
まいたけ – 釜房舞茸生産組合
こんにゃく – 川崎蒟蒻加工組合
銀杏
クリスマスローズ

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