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幸手市は江戸時代より日光街道(※奥州街道)と日光御成街道の分岐・合流地点に開けた宿場町として繁栄していました。
徳川将軍が日光東照宮に葬る家康公の参拝時に利用された街道でもあります。
日光社参で折りと、東照宮例大祭に天皇の代理で参拝した例幣使(歴代将軍や朝廷から遣わされた使者)が18回も休憩所に利用した聖福寺があります。
宿場の中心部には、明治9年6月に明治天皇が行幸した折に馬之助町の元名主の「中村家」に宿泊した時の記念碑があります。

天明三年(1783年)に浅間山の噴火が発生し、火砕流・溶岩流等が村を埋めつくし、二万人以上の死者がでたそうです。
真夏にも関らず外気温が急速に低下し始め、麦を始め多くの作物が実らなかった事により大飢饉が発生し翌年には大量餓死をもたらしました。
その際、幸手宿の名主や豪商らが金や穀物を出し合い、約70日間ものあいだ粥を施して幸手の難民を救済したのです。
その有志を耳にした代官「伊奈忠尊」がこの善行を褒め称え、正福寺の境内に関東郡代の伊奈忠尊が義賑窮餓之碑を建てました。

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