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湖南市は滋賀県南部に位置している都市で、「大阪」・「名古屋」から100km圏内にあって「近畿圏」と「中部圏」を繋ぐ広域交流拠点にあります。南端に「阿星山系」、北端に「岩根山系」を望んでいる「丘陵地」であり、これらの丘陵地に囲まれ、地域の中央部を「野洲川」が流れている。「野洲川」付近一帯には平地が開いており、「水」・「緑」に囲まれている自然環境に恵まれた地域であります。地形は「平地」・「丘陵」・「山林」の3つに分かれており、特に「山林」が総面積の約50%を占めている。
「湖南」という名を冠していますが、これは「大津市」南部から「旧甲賀郡」にかけてを指す「広域地名」となっており「湖南市域」は「琵琶湖」とは接していない。古くは「近江」と「伊勢」を結ぶ「伊勢参宮街道」として栄え、江戸時代には石部に「東海道五十三次」の51番目の宿場「石部宿」が設置され、これを中心とした街道の「産業」・「文化」が栄えた。戦後、「高度経済成長」と共に、隣接する「栗東市(※当時は栗東町)」に造られた「名神高速道路栗東IC」と「竜王町」に造られた「竜王IC」を活用し、県内では最大の工業団地である「湖南工業団地」が建てられ、産業構造が「第二次産業」に大きく変わりました。市内にある「善水寺」・「常楽寺」・「長寿寺」の3つの寺院は、「本堂」や「三重塔」が国宝に指定され「湖南三山」として大きく観光PRが行われています。

市の木は「ウツクシマツ」、市の花は「サツキ」、市の鳥は「ウグイス」です。特産品は「下田焼き」・「藍染め」・「下田なす」・「石部焼き」です。湖南市役所 東庁舎の所在地は、滋賀県湖南市中央一丁目1番地 電話0748-72-1290(代表)FAX 0748-72-3390。西庁舎の所在地は、滋賀県湖南市石部中央一丁目1番1号 電話0748-77-3101(代表)FAX 0748-77-7009です。

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行による村合併が実施され「石部村」・「三雲村」・「岩根村」が誕生しましたが、「下田村」が伴谷村(※春日・八田・伴中山・下山・山)とは分離独立しました。「下田村」は当初、一旦は「伴谷村」に入る事を了承したのであるが、不満を訴え独立の道を進む事となった。
1903年(明治36年)6月1日に「石部村」は町制を施行し「石部町」となる。1941年(昭和16年)に「戦時政策」として「石部町」と三雲村の一部「柑子袋」・「平松」・「針」、岩根村の「菩提寺」及び「正福寺」との合併が検討されましたが実現されなかった。1953年(昭和28年)に「市町村合併促進法」が制定されると、県甲賀地方事務所は「石部町」と「三雲村」・「岩根村」・「下田村」の2町2村の合併を提案しましたが、「下田村」は中学校建設問題や、「苗村」・「鏡山村」との合併を視野にある事を理由に脱退し、残った1町2村の意見も一致しなかった。石部町が新町名に「石部町」、仮庁舎・本庁舎ともに「石部」を主張したのに対し、2村は役場位置を3町村の「中間地点」に置くべきだと主張し、議論は平行線をたどり「三雲村」と「岩根村」が1955年(昭和30年)4月10日に合併し「甲西町」となる。その後、1957年(昭和32年)1月に出された「県知事の勧告」を受け、翌年の1958年(昭和33年)10月1日に「下田村」が「甲西町」に編入合併されました。1959年(昭和34年)11月に「石部町」と「甲西町」は合併すべしという「内閣総理大臣」から勧告があったにもかかわらず、反対意見が強かった為、これも実現しなかった。2004年10月1日に、「甲賀郡石部町」と「甲西町」が合併し、2004年(平成16年)10月1日に「湖南市」が誕生しました。

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