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富士吉田市は、富士火山活動の影響を受けている地域でもあり、火山灰や溶岩流等の堆積物に覆われ考古遺跡は未解明の部分が多いです。縄文時代の遺跡は「古屋敷遺跡」、「池之元遺跡」をはじめ火山活動の静穏期であった「富士黒土層」に多いです。寒冷な気候に加え、農耕には不向きな火山性土壌である事により、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡から出土された遺物は寂しく、古代には再び火山活動が活発になったが、その後定住していた集落跡が見られます。

市の木は「しらかば」、市の花「富士桜」、市の鳥は「アカゲ」、市の愛唱歌は「ここにはいつも富士がある」となっています。

市名の由来は、富士上吉田町・下吉田町・明見町の三つの町が合併する時に、新しい市の名称について議論した結果、「三町合同議会協議会」にて「吉田」という古い名称に「富士」の名を温存させる事で「富士吉田市」という名称とする事となったそうです。

現在まで世に親しまれていた富士急行線の駅「富士吉田駅」は、富士山の開山日でもある2011年7月1日に「富士山駅」に改名されました。私事ではありますが、長年、富士吉田駅周辺に住んでいた事もあり、富士山駅に改名するのはあまり良い気持ちではありません。これは地元民からしてみれば然程問題視はしていないが、観光客にインパクトを与えるには打ってつけな事であります。失礼ではありますが、地域活性化に町おこしが多々見られる吉田市や隣町の河口湖町ですが、殆ど中途半端に終わっている様にしか見受けられません。やるならやり遂げましょう!という思いがいっぱいな今日この頃です。

昭和大学富士吉田キャンパスは吉田市民を始め、多くの郡民に知られている大学です。「東京都品川区旗の台1-5-8」に本部(1946年に設置)を置く日本の私立大学で知られ、1965年(昭和40年)に、山梨県富士吉田市の東富士五湖道路「富士吉田」料金所から程近い場所にてキャンパスが設置され、各学部の1年次には4人部屋での全寮制を実施されており、医学部、歯学部、薬学部、保健医療学部(平成18年に保健医療学部寮が新たに建設)の4学部の1学年生が起居を共にし1年間の全寮生活を送ります。

富士吉田市歴史民俗博物館の常設展示は、「富士山の信仰」、「郡内織物」の2つのテーマ展示、「歴史」、「民俗」を合わた4分野で構成されています。「富士山」の信仰、そして地域産業や昔の暮らし等を細かく紹介しており、パネルや物品、模型等を用いた展示品はとても興味深いです。館外では、御師住宅の復原した家屋や、江戸時代の民家を移築復原した建物も一般公開されており、江戸時代中期に建てられたと推定される建物で、国指定重要文化財でもある富士吉田市の指定文化財「旧武藤家住宅」と、宝永4年(1707年)に建てられたと伝えられえている建物で、山梨県の指定文化財「旧宮下家住宅」が観覧できます。

道の駅~富士吉田は、朝採れた新鮮な野菜や富士山麓で採れる山菜を販売しており、野菜以外では地場産品の「甲斐絹」や「農林産物」も販売されている施設です。
一角には「富士山レーダードーム館」や「地ビールレストラン」、「富士山アリーナ」が併設されており、家族で楽しめる事は間違いありません。
施設内にある水汲み場では、バナジウムをはじめとした豊富なミネラル分を多く含んだ「伏流水」となったものを地下100mから汲み上げた名水を無料で持ち帰る事ができます。「伏流水」は容器に入れる量に制限が指定されているのですが、地元民?か他府県の人?か定かではありませんが、マナーを守らない人が多く見られます。空の16リットル入りポリタンクを10~20個程持ってきて永遠と入れている。水汲み場全てに1人「16リットルタンクに3本まで」と表記されています、更に「それを超える場合は再度並びなおしましょう」と書かれていますが、一部のマナー違反者(6割近い)はお構いなしの完全無視であります。更には向かって1番右手には、500ミリリットル以下のボトル専用水汲み場も設置されているのですが、そこでも涼しい顔をした輩が大型ポリタンクに入れている・・・平気な顔をしてマナーやルールを簡単に無視できるマナー違反者は後続に並んでいる者にはかなり迷惑ですね。

北口本宮冨士浅間神社の本殿は、1615年(元和元年)に再建され、1688年(貞享5年)に社殿を造修しました。本社殿は桃山時代の高荘な建造物として国の重要文化財として指定されています。 主祭神は木花開耶姫命、夫神の彦火瓊瓊杵命と父神の大山祇神を共に祀っている。旧社格は県社で、戦後別表神社となった。史跡である境内には桃山様式の本殿、西宮本殿、武田信玄造営の東宮本殿があり、いずれも重要文化財となっている。創建は垂仁天皇の御代(紀元前29年~西暦70年)、富士山の火山鎮護のため勅命により「木花開耶姫」の分霊を勧請したのが始まりと云われています。社伝によると、景行天皇40年に「日本武尊」が東夷東征の時に、大塚丘を訪れ富士山の北側登拝の拠点として祠と鳥居を建立したのが始まりと伝えられています。それ以来、歴代領主に崇敬され延暦7年(788年)には、当時の甲斐守であった「紀朝臣豊庭」が社殿を造営し「浅間明神」を遷座させた。

富士吉田市立富士山レーダードーム館は、富士山親水公園(リフレ富士吉田)内にある施設です。1964年(昭和39年)に設置された「富士山レーダー」は、日本の気象観測に絶対的に欠かせない存在であったが、近年、気象衛星による観測が発達した為、1999年(平成11年)にその役割を「ひまわり5号」が受け継ぎ、周辺のレーダー観測を、静岡県の牧之原と長野県の車山に譲り35年といった長い歴史に幕を下ろしました。その後は、2001年(平成13年)9月に、山麓の富士吉田市の「富士山レーダー」へ移設し、2004年(平成16年)に体験学習施設として一般公開を開始し現在に至っています。

CMでもお馴染みである全国的に有名な「富士急ハイランド」は山梨県南都留郡富士河口湖町船津にあります。「FUJIYAMA」・「ドドンパ」・「ええじゃないか」・「高飛車」の4大コースターを筆頭に、数多くの絶叫マシンをはじめとする、多彩なアトラクションを楽しむ事が出来ます。2000年頃からは「トーマスランド」や「ハムハムどきどき!おうこく」等のファミリー層をターゲットとした施設も見受けられている。冬期には、関東甲信越エリアで最も開業が早いと云われている「アイススケートリンク」の施設もあります。最寄駅は、富士急行線「富士急ハイランド駅」となっています。

吉田のうどんは全国的に認知度がある富士吉田の郷土料理の1つと知られています。吉田のうどんは2007年農林水産省が「各地に伝わる故郷の味」の中から選定した「農山漁村の郷土料理100選」にも選ばれているものです。店で提供する饂飩麺はほぼ100%手打ちとなっています。ゴムみたいな歯ごたえの麺を体験出来る店だけではなく、柔らかい麺も楽しめる店もあり、その中では「手打ちうどん えにし」、「さいぐさうどん」、「門々利うどん」が挙げられます。唐辛子・胡麻・を醤油と砂糖等で炒ったものや、ブレンドした薬味(すりだね)を加えたものが各店舗にあり、かなり病み付きになります。富士吉田市内だけでなく郡内でも「吉田のうどん」が点在しています。しかし、それは、店主が富士吉田市の「吉田のうどん店」にて修業された後、市外で開業されたものです。富士吉田市以外で「吉田のうどん店」と表記しても然程おかしい事ではないのです。個人的に好きな店は、讃岐うどんと吉田のうどんの中間的な船津の「蔵ノ介」(※富士河口湖町)・上吉田の「白須うどん」・上吉田の「はなや」・上吉田の「麺許皆伝」寿の「えにし」ですね。

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