南巨摩郡早川町で探偵、興信所をお探しの方、お困りの方、社団法人探偵協会にお任せください。
町の木は「カツラ」、町の花は「ミツバツツジ」となっています。
近世から高度経済成長期まで、自給的食糧生産でもある焼畑と、主な現金収入限であった林業・木工業・鉱山労働・養蚕・換金作物栽培(楮・ミツマタ・タバコ・蒟蒻・椎茸)等との複合的生業が営まれてきました。戦後は、林業や建設事業、養豚等の産業が台頭したましたが、現在は林業・養豚は主要産業とは言えず建設事業も縮小しているそうです。
南アルプス麓にある「秘境・奈良田温泉」は、源泉は地下212mから毎分40L汲むナトリウム・塩化物-炭酸水素塩泉。無色透明で硫化水素臭が漂いかなりのヌルヌル感を擁している。湧温約42度の高温泉となっており、加水も加温はせず内湯とカランに配湯しています。女帝孝謙天皇の御遷居の地として「奈良王神社」、「奈良田の七不思議」と共に伝説の里として知られています。1997年(平成9年)に元源泉近くの「白銀屋」駐車場付近で掘削し500mで湧出した元温泉の湯脈です。日々7色以上の泉色が出た為「七不思議の湯」として開湯されました。孝謙天皇が入ったとされる「女帝の湯」は、源泉かけ流しで泉質にはとても定評があります。往時の奈良田集落はダムの建設によって伝説と共に湖底に沈んでしまいましたが、湖水は現在でも謎と伝説を湛えています。病を抱えていた奈良王様(孝謙天皇)が湯治に訪れた時に、7つの不思議な事が起こりました。①「御符水」奈良王様が掘った用水池との事で、日照でも豪雨でも増減がなく、飲むと諸病に効果があると言われている。②「塩の池」村人が苦労して塩を得る事を不憫に感じた奈良王様が「八幡神社」の八幡様に祈願された後、お手洗池から塩水が湧いたとのこと。③「檳榔子の染物池」この池で奈良王様が衣を染めた事に習い、村人たちも、楮(コウゾ)で織った「タホ布」を染めて着たそうです。④「二羽烏」奈良王様がご遷居中にカラスがとても多くいたそうです、田畑の作物を食い荒らし放題の始末で、村人をたいそう苦しめました。ある日、奈良王様がカラス達を集めて言った。「今後は人間の作る作物を食べてはならない」と厳重に言ったそうです。そして10数日に再びカラス達を集めたところ、言いつけを守ったのは2羽のカラスだけであった。奈良王様は大変悲しみ、そして激怒し「言いつけを守った2羽は永久に鎮守の森に住むことを許され、それ以外の数10羽のカラスは追放された以来、奈良田にはカラスは2羽だけしか住まなくなったと云われています。⑤「洗濯池」とても寒い真冬に村人達が苦労して洗濯をしているのを不憫に思った奈良王様が、「八幡神社」の八幡様に祈願された後、温かい温泉が湧いたそうです。⑥「七段」奈良王様が住んだ「王平」から早川の河川敷まで7段になっていて、平城京の条里制にならったものだと云われています。⑦「片葉の葦」奈良王様が奈良の都へ帰られる時、御跡を募った村人が奈良王様を慕い、片側しか葉が生えなくなった片葉の葦(方葉の葦)。その昔「武田信玄」の隠し湯だったと云われていおり、現在は山峡の秘湯として知られています。
西山温泉は、南アルプス山梨県早川町にある「露天風呂」のみの日帰り温泉です。塩素無添加・非加熱・無加水の源泉掛け流しに拘った温泉施設です。
ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性アルカリ性高温泉)、温度47度、効能は神経痛・筋肉痛・慢性消化器病・冷え性・疲労回復・切り傷・慢性皮膚病・慢性婦人病に効くといわれています。飲用適応症は慢性胆嚢炎・肥満性糖尿病など。
新倉の糸魚川-静岡構造線(新倉の断層)の逆断層の露頭は、2001年に国が指定した天然記念物となっています。2007年には、糸魚川と早川の糸魚川静岡構造線が「日本の地質100選」に選定されています。南北の延びを示し,新潟県糸魚川市から長野県大町市・松本市・諏訪市・山梨県富士見町・白州町・早川町を経て静岡市に達しています。日本列島の中央部を横断しており、東北日本と西南日本を分ける延長250kmにも及ぶ大断層です。
赤沢宿は、山梨県南巨摩郡早川町にある集落で、身延山と七面山を結ぶ参詣道の途中にある講中宿です。
日蓮宗の総本山である身延山と、同日蓮宗の霊山である七面山に参拝する客の宿場として栄え、1993年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。
地区の種別は山村・講中宿で、選定基準は「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」よのことです。
建物の造りとしては、座敷の2辺を囲む周り土間が特徴的となっており、これは大勢の参拝客が一斉に草鞋を脱いで家に上がれる様にとのことであるそうです。
現在では数件ある宿場のうち、宿泊が可能な宿は「江戸屋」のみとなっています。