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南巨摩郡身延町は、山梨県の南西部に位置する町です。

日蓮聖人で有名な身延山の日蓮宗総本山「門前町」。
因みに「身延山久遠寺」は鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお寺でもあります。
2004年9月13日に西八代郡下部町・南巨摩郡中富町と合併した。町名は公募により「身延町」が選ばれ、南巨摩郡に属すことが県議会で決定した。

新町にある「なかとみ和紙の里」は、西島和紙の手漉き体験・全国の和紙の展示・現代工芸工芸美術館・地元特産品の飲食可能な施設の4つ施設で構成されています。
身延町に伝わる伝統工芸や、手すき和紙の体験施設があり、漉屋で字漉きの体験が出来ます。紙屋では全国の和紙を展示しており購入も可能となっています。清らかに湧き出る水と、木々の恵みの中で生まれた里人達の手で育まれた「なかとみの西嶋和紙」の発祥は遠く戦国時代に遡ると伝えられています。伝えによると「西嶋和紙」は、戦国時代に西嶋の「望月清兵衛翁」が伊豆国田方郡立野村で三椏を原料にした「修善寺紙」の製法を学んび、西嶋へ持ち帰った事が始まりと言われています。元亀2辛未年(1571年)に西嶋で初の和紙製造を成功させる。その後、国主である「武田信玄公」に献上すると、信玄公は大変喜ばれたそうです。特に「運上紙」として認め、また、武田割菱の紋を刻んだ「西未」の朱印を作成し、清兵衛翁に賜り、西嶋及びその附近で紙を漉く事と「清兵衛翁」を紙の役人に命ぜられたそうです。しかし、徳川時代までは盛んに「西嶋和紙」の製紙が行われていたが、明治以後の峡南地方各地域では、次第に減少していき現在では西嶋だけとなってしまったそうです。第2次世界大戦後には「画仙紙の製法」を開発し、新原料として故紙(三椏等を原料とする使用済み製品)や稲藁等を原料とした「書半紙」・「画仙紙」を製造している。400有余年の長い歴史と様々な改善によって「墨色」・「筆ざわり」・「にじみ具合」などに傑出した物となり、近年は全国の書道家・書道愛好家の珍重とされているとの事です。

身延山にある「久遠寺(祖山)」の創建は文永11年(1274年)、日蓮聖人が身延山の西谷に草庵を結んだ事が始まりと伝えられています。昭和30年6月22日に国宝・国指定重要文化財として指定された「絹本着色夏景山水図」が所蔵されていました。日蓮宗の総本山。身延山妙法華院と号する。山号は身延山となっています。平成25年には「身延山第二祖」であり六老僧佐渡阿闍梨日向上人の700遠忌を迎えるそうです。日蓮聖人が国家諫暁の末に入山し、晩年の約9年間を過ごしました。山全体が霊山の趣深く、大本堂・祖師堂・五重塔など荘厳です。そして大本堂の天井画や日蓮聖人直筆の書を展示する宝物館もあります。

平成3年6月21日に国の重要文化財として指定された「絹本着色釈迦八相図」 は、「釈尊一代図・三幅対」の名称で久遠寺にて所蔵されている掛軸です。鎌倉時代にて盛んに作成された「釈迦八相図」は、第1幅に続くものが東京の「根津美術館」の所蔵品と一連の仏伝図であるものと考えられていて、久遠寺は3幅を現存しているそうです。釈迦の生涯における伝説的な事柄を描いた物は「釈迦八相図」若しくは「仏伝図」と呼ばれおり、想厳若しくは教化用仏画として作成されたものとのこと。作者は、14世紀の中国・元代の職業画家「孫 君沢」氏と伝えられていますが、描き方は細密精緻であり、鎌倉室町時代に多く見られた「仏教説話図」に類似する為、鎌倉時代に日本で描かれたものと推定されています。

下部温泉郷は山梨県南巨摩郡身延町下部(旧下部町南西部)にある温泉地です。毛無山の西麓では毛無山から発する下部川(湯川)に沿って閑静な温泉宿が立ち並んでいます。昭和30年代に「国民保養温泉地」に指定され、平成に入ると「国民保険温泉地」に指定されています。古き時代より湯治場として栄えた下部温泉は「日本名湯100選」に選ばれました。泉質は単純泉、源泉温度32℃、疲労回復、外傷、火傷、リューマチ、神経痛に効果があり浸かってよし飲んでよしの万能泉であります。故「石原裕次郎」氏がスキーであやまって怪我した時に「下部温泉」に治癒のため逗留した事があるそうです。又、数多くの近代スポーツの選手達が、怪我の治癒やリハビリを兼ねて訪れています。戦国時代には「武田信玄公」が合戦で傷ついた信玄公や兵の治療に当てた「信玄公隠し湯」として傷を癒した事とてもは有名で、近年では富士身延鉄道(身延線)の開通により浴客は急増しました。

本栖湖は、南都留郡富士河口湖町及び南巨摩郡身延町に存在する湖です。この湖は富士五湖の1つで、富士五湖の最西端に位置しています。富士五湖は富士山北麓に点在する5つの湖から構成され、山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖を総称して富士五湖となっています。五湖はその昔、富士山の大噴火により流出した溶岩流が川をせき止め誕生したと云われています。最近ではスキューバダイビングのポイントとして知られており、又、水中では太古の大噴火によるクレーターや沈んだ大木が見られます。そしてこの湖には古くから伝われている伝説「竜神伝説」残っています。遥か昔、本栖湖は「せの海」と呼ばれていて、周囲23kmもある大きな湖であったそうです。湖の東に原中村という500戸程の集落が存在し、湖で魚を獲り、そして山では獣や鳥を獲り静かに暮らしていました。この村では、毎年正月元旦の朝に村人達が湖で心身を清め、その年の無事安泰を祈願する習わしになっていたそうです。ある朝、湖畔の村人達が湖に祈り捧げている時に、朝もやに包まれた湖から突如「龍」が現れ「近いうちに富士山が噴火する」と告げ、龍ヶ岳の山頂方向に登っていったとの事です。その日から地鳴りや震動が続き、村人達は富士山の噴火を恐れ山を越えて避難した後、富士山は大噴火しそうです。家も畑も全て溶岩に埋まり、村人達は途方にくれましたが、湖中で魚が泳ぎ、山に獣がいるのを見つけこの地に戻る事を決意し、元の巣に帰って来たということに因んで名前も「本栖」と改め、災難から救ってくれた竜神様を敬うようになった。以来、災難からの守護神として龍神様を祀り信仰していそうです。

特産品として湯葉・竹炭・南天・西嶋和紙・手作りみそ・しいたけ・緑茶・ヤマメが代表的です。町内の商店でも購入が可能ですが、道の駅「しもべ」でも購入する事が出来ます。

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