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1896年(明治29年)4月1日、郡制に基づき「築城郡」と「上毛郡」を合併し「築上郡」となりました。郡名は合併前の両郡の名前を合わせたものとなっています。当時の郡域には、現在の「豊前市」の全域が含まれていました。「築上郡」は「築城郡」と「上毛郡」を合併させて出来た郡なので、西部と東部で生活圏が異なります。旧築城郡域にあたる築上町地域は、「北九州市」と「行橋市」の生活圏であり、文化圏でもありますが、旧上毛郡にあたる東部の「上毛町」・「吉富町」・「豊前市」域は古代では「三毛郡」と呼ばれ旧下毛郡と一体でありました。江戸時代では「吉富町」と「上毛町」域は「中津藩」の領域であった為、大分県中津市の生活圏及び文化圏としての色合いが強かった。又、「豊前市」と「築上郡」を合わせて「豊築地域」と呼ばれていおり、それらと「京都地域」とを合わせて「京築」と呼ばれています。

町の木は「モクセイ」(1982年(昭和57年)5月19日制定)、町の花は「サツキ」(1982年(昭和57年)5月19日制定)となっています。町名の由来は「室町時代」から呼称されてきた「吉富郷」に由来し「吉富町」と名付けられたそうです。 町章は「よしとみ」の「よし」を図案化し、外回りの円は円満の意であり、上部の突き出した部分は「飛躍」や「発展」を表している。

吉富町のほぼ中央にある天仲寺山には「勝海舟」の剣術の師匠として全国的に知られている、幕末の剣豪「島田虎之助」が青年時代に修練した場所(島田虎之助の修練の地)として知られています。「島田虎之助」は、1814年(文化11年)中津島田に、藩士の四男として生まれまいた。天保8年には江戸へ上り、剣聖「男谷信友の門」へ入り「直心影流」免許皆伝を受けました。同年12年江戸浅草の新堀に直新影流の道場を開講し、この道場にて「勝 麟太郎」(勝 海舟)がここで学びました。
1852年(嘉永5)年9月16日に病によってこの世を去りました。「島田虎之助」の教えは「剣は心なり、心正しからざれば、剣また正しからず、剣を学ばんと欲すれば、先ず心より学ぶべし」という正しい心をもって剣を修行するという「人づくり」の指導であったと云われています。又、中津藩主(小笠原公)三代の墓や、豊前・築上地域最大規模の「天仲寺古墳」や「松尾芭蕉」の句碑もあります。(住所/福岡県築上郡吉富町大字広津604番地外)

瀬戸内海南西端に位置する海域「周防灘」の海にて、底引き網漁業と沿岸の遠浅を利用した「アサリ採貝」や海苔(豊前のり)の養殖が中心となっています。
特に豊前海は、牡蠣の産地として全国的にも知られており、1998年(平成10年)にネーミングの統一をしてブランド化しました。「豊前海一粒カキ」は、かなりの大粒で身入りがとても良く、プリっとした食感で喉越しの良い「吉富町」を代表する特産品となっています。

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